一つ星を胸に

外国人との離婚ほやほや、身も心もクタクタ、なんとか帰国、浦島太郎状態の日本で再起できるのか、40代女の奮闘記(になる予定)

仕事

現在無職。求職中。

何をすればいいのか、とにかく働かなきゃとの思いから、ハロワでとりあえず
長く経験のある事務職求人を探し、ポツポツ面接を受けたりしたのだけど、
上手くいかない。全部手応えがあったのに、全滅。(というか自己評価高いのか?)
書類審査で落とされたこともあったな。
私は、割と面接は得意なんだけど、何が悪いのか、結局おばちゃんだから
ダメなんだろと、一番簡単な年のせいにして、会社を脳内ディスり。

しかし、事務職なんて数年後にはAIにぜーんぶ取って代わられるというのに、
私は変わる事ができない。とある大企業も総務、経理部門の社員を大量リストラ(配置替え
とはいってるけど)する時代なのに、なんか逆境してるのかなぁとも思う。
せっかく就職できたのに、何年後かにリストラじゃ立ち直れないよ。

 
私が住んでいるところは、観光地でここ最近外国人観光客があふれている。
海外に渡る前には見ない光景だった。
それで、その方達とも多少コミュニケートできる(したい)という点から、販売員というのも
いいのではないかと考えている。でも、某国で販売員をしていたが、立ち仕事が
体力的にきつかったので、躊躇している。

販売員もゆくゆくはAIに取って代わるのかしら?
人間がAIに勝つ事といったら、ハートのあるコミュニケーションだ。
販売員は顧客と会話して、成り立つ仕事だと思う。買うつもりなかったのに、店員さんに
踊らされて(悪く言えば)買った経験あるもん。
ペッパー君は、客に商品を買わせるだけのコミュニーケーション能力があるのかい?

 

働かなきゃ~と思ってるのに、もう、働かない生活が長すぎて腰が重い。
アラフォー健康女として最低だ!

動かなきゃ、私!負けるな!

母その2

私は母と性格が本当に似ている。
母親に育てられたのだから当然かと思いきや、妹と我々は性格が違うので、
持って生まれた性質なのだろう。

母が考える事は手に取るようにわかるし、それは私のコンプレックスでもあるので
それをまざまざと見せつけられると、同族嫌悪で母に大してすごく攻撃的に
なってしまう。そして、後で後悔する。なんで年老いた母にあそこまで言ってしまうのだろうと。

私は長く連れ添った元夫に多大なる影響を受けている。
物の考え方、見方について。
私はその点に関して彼を非常に尊敬していて、私も彼のような心持ちでいたいと
思っている。彼は私(母)とは正反対で、だから憧れがあるのだと思う。

そして、私は彼のような思考回路で今後は生きていきたいと思っている。
なので、母と話していると、昔の彼と私の関係が、今の私と母と同じであることに
気づく。彼は私と話していてこんなにストレスがたまっていたのか。と感じる。
つまり、現在私は母と話してストレスがたまるのだ。
自分のやりたいことを人や状況のせいにして、仕方ないとあきらめる。
人と揉めたくないからという理由で誰に対してもいい顔をする。

自分の人生なのに、他者が主体になってしまっていることが腹立たしいのだ。

私は今はそんな自分から脱却したいと強く思う。
しかし、日本に帰国した今、早速郷に入りては郷に従え精神を発動し、また他人の顔を見て
生きてしまうかもしれないという心配がある。

私が私の人生の舵を取りたいのだ。
誰のせいにもしたくないから。

母にもそれを望むことは不可能なのだろうか。

母はじきに70になる。
私が外国に行っている間にめっきり老け込み、一時帰国するたびに私はイライラしていたものだ。なぜ、こんなにもイライラするのか。老人なんだからあたりまえ。
でも、私はまだ母を老人として受け入れる覚悟ができていないのだと思う。
母は、とにかく強く、なんでもできて、私は依存していた。
母イコールスーパーウーマンだったわけだ。

ところが、母が老け、私が大人になると、彼女はスーパーウーマンを装っていた事が分かり始めた。専業主婦だった母は、ある日幼い私と妹を抱え、慣れない仕事に出、子育て、家事をしなければならなくなった。
強くならなければいけなかったのだ。
本来の母は、脆く、繊細で、人見知り、怖がり、私とそっくりの性格だ。
同族嫌悪もプラスされ、母に対して冷たくあたってしまう。

最悪なのは、元義母と比べてしまうことだ。
離婚騒ぎで私は数週間彼女の家に避難して、時を過ごした。
彼女は、母とは真逆で、自由で常識に縛られず、年を理由に色々なことを諦めない、輝き続けている女性で、私にいい影響と癒しを与えてくれた。高齢だが自立した女性で、私の憧れとなった。

なぜ、彼女のような母じゃないのだろうなんて最低な事を思ってしまう。

辛くあたった後は、ひどく後味が悪い。
想像を絶する苦労をしながら子供二人育てるなんて、私にはできないから、すごいと思う。
でも、そんなすごかったあなたが、なぜ今こんなに、、、という気持ちが消えない。

細かいことだが、人の話を遮ってしゃべる、くだらないテレビをずーっと見ている、口に物を入れたまましゃべる、電気をつけっぱなし、人の目を過剰に気にする、等。私がそういうことにイライラするのが伝わって、私に気をつかいながらいるのもさらに私のストレスを助長してしまい、負のスパイラルに陥る。

私は本当に小さい人間で、ほとほと自分が嫌いになる。
自分も老いていくのは百も承知なのだけど、なにせ頼り甲斐のあった母はどこにもいなくて、寂しくて。。。

「生きてみなけりゃわからないことばかりだったわ。」私の好きなドラマの中の台詞。
私がまさか母にこんな想いを抱える時が来るなんて。。。

アラフォー、英語をもう一度がんばる

大学は英語専攻だった。
そんなことは、もう誰にも言いたくないくらいお粗末な英語力だ。
今に始まったことではなく、大学時代も非常に不真面目な学生だったので、
英語は習得できなかった。高い学費を払ってくれた親には申し訳ない。

しかしながら、卒業後もなんとなく心のどこかではずーっと英語、、、
英語、、、ああ、英語。。。と、思って暮らしてきたのだが、英語圏ではない
外国で暮らすことになり、今度はそっちを必死にやらなくてはいけない状況になり、
しかし、やはり必死にやらず、こっちも習得できず、結果、どちらも中途半端で、
もう不甲斐ない!

帰国し、とりあえずは、某国で暮らしていたときの言語を伸ばそう!
なぜなら、先月まで多少使っていて、なんとなく脳にフレッシュに残っていると
思われたから。できれば、職探しなんかでちょろっと活かせるのでは、なんて
甘い期待をしていたのだけど、もののみごとにその期待は木っ端微塵。
当然といえば当然だけど、英語の方が重宝がられる

という、いとも簡単な理由から、英語を再び学ぼう!と思い立った。
安易~と、自分でも思うけど、やっぱりずっとくすぶっていた、英語に対する
コンプレックス、憧れともう一度向き合って、、、うううん、やっぱり英語ぺらぺら
はかっこいい!

更に、某言語も忘れたくないので、2ヶ国語を同時に勉強しようと思う。
やらなきゃやらなきゃになると辛いので、それでなくても人生は十分辛いのだから(笑)
楽しみながらがんばりたい。

ゆくゆくは、通訳案内士試験なんてのもあるので、それも受けてみたい!

 

断捨離

私はミニマリストを目指しているので、断捨離を決行している。
今日は、押入れの中に眠る「思い出」と書かれたパンドラの箱を開けることにした。
きっと、心が疲れる作業になると思った。気合を入れてオープン!

写真、手紙、卒業アルバム、成績表、作文、文集、図工の授業で作ったもの、大量のキーホルダー、バービー人形、テレカ、手帳、財布、ディズニーランドの半券、映画のパンフ、自作のポエム(!)、交換日記、日記、ラブレター etc.

懐かしさで身悶えしながらの作業だった。

どうしても断捨離できなかったものは、写真と、何通かの手紙、あと自分で作ったもの、パンフ(将来売れるかも??)。

手紙は、本当にたくさんもらっていて、ざっと読んだのだけど、本当に私みたいなもんに、
愛を持って接してくれていて、すごく暖かいものを送ってくれていたことを痛感した。
当時は、多分何とも思っていない。若さ故なのか、自分一人でどこにでも行ける!自由に好きなように生きていける!と信じていて、たくさんの人に支えられていたことを実感していなかった。
本当に、若いって罪だ。

 でも、今回断捨離を決行して、まわりの人に感謝して生きていこうって思った。
断捨離とは、モノを捨てるけど、代わりに素敵なモノが手に入るのだ。

16歳の頃に私は誰かに熱烈に恋していて(片思い)、そんなことすっかり忘れている自分に驚いた。しかも、相手が誰なのか見当もつかない。

始めてラブレターを書いた相手からの返事(お断りの)は、今読んでも、本当に良い人を好きになったなと自分のみる眼を褒めてあげたいような、最高な青年だということが滲み出ている文章だった。本当に素敵だった。

初めての彼氏からの熱烈なラブレターは赤面ものだ。

元夫からのラブレターも愛があふれていた。

友達からの近況報告、だいたい恋人や好きな人の事が主。
就職したてで、希望と不安に満ちていた。

家族からの揺るぎない愛の手紙。

本当に本当にたくさんの愛で私は世間の色々な事からバリアーされていたのだ。

これからは、そういう愛に常に感謝して、与える方にまわりたい。

こういうのを読むと、世界は愛に満ちていると思う。
(当時はまったくきづかなかったのが悔やまれる)

ありがとう!皆!

 

 

 

パソコンがやばそう

パソコンが風前の灯火だ。
私は、結婚以来、パソコン関連を元夫に頼ってきたので、この手の事は苦手。
元夫は便利だったな~

というわけで、近所の店に行き、とりあえずみてもらったら、何と動いた!!
ありがとう。お兄さん。
しかし、もうだいぶ古いからということで(実際10年以上はたってる)、いつまた
壊れてもおかしくない。との暗示。
買った方がいいと言われて、どれがいいかわからなかったので、お勧めしてもらったら、
8万ちょっとかかるって。
そんなにかかるのパソコンって。。。完璧、予想外の出費。無職なんだからさ~。

しかも、元夫はアンチWindows派の、Linux派。
私も長年Linuxユーザーであり、その性能の良さはWindowsの比では無いと思っているので、
今回も、Linuxで!と思ったけど、店にはWindows仕様しかないらしい。

いらないわ~。そりゃ、マイクロソフトはウハウハだよね。標準装備されてるんだから。
Linuxをきちんとインストールできるのかも不安。
でも、ひとりになったのだから、自力でなんとかしなきゃ。
(多分、元夫にヘルプメールしまくりだと思うけど、なるべくがんばる)

 

 

某国の医者、日本の医者

国民健康保険に加入してから、ここぞとばかりに医者とのアポをとっている。

今回は婦人科。
私は、婦人科系の病を若いころから患っていて、頻繁にお世話になっている。
先月まで暮らしていた国でも手術もしたし、何度も診察をしてもらっていた。

よく言われるのは、某国の医者のアポをとるのにはとても時間がかかるということ。
実際、眼科なんて、半年以上先だし、1年後だとしてもさほど驚かない。
(緊急はもちろんなんとか診てもらえる)

その点では、日本の医者にはハードル低く、すーぐ会える。
私も、予約電話をかけて、今日はいっぱいなのですが、明日なら。
と言われて、超びっくりした。いやいや、もう早くて来週くらいの心づもりでしたわ。
という感じ。

しかし、なんであんなにライン工場チックなの。
患者の目もみず、PC画面釘付けでカタカタなにかうちながら、ものの5分ほどで、
診断して、つぎの予約をさせて、私は診察室から追い出されてしまった。

某国では~、某国では~と何か言うと、かぶれと思われてしまうけど、
もういいわ。
某国では、医者は話をしっかり聞いてくれた。ひとり30分くらいかかることもざら。
そのため、待時間が長いけど、目を見て、辛抱強く話をきいてくれる医者ばかりに
私はあたってきた。つたない言葉でも。急かされるような事もなかったし、時に
病気と関係ないことを談笑したりしながら。

ストレスも多い仕事だろうにと尊敬できる医者ばかりだった。
もちろん、私がただラッキーだったのかもしれないけど、日本でこの手の医者にあたる
ことは、皆無だったし、皆、せかせか。こっちに何も言わせないような雰囲気の医者さえ
いる。

診察室を出て、元夫と唖然としたこともある。もう、次の予約の人いるんですよね~
(出てってくれません?)と追い出す医者にあたったときだ。

私は、待合室でどんだけ待ってもよい。
しっかり、目を見てくれて、話もしっかり聞いてくれて、ピリピリしていない医者がいい。
自分の体を預けるんだよ!当たり前じゃん!!!